夏の夜の送別会

▼逢えなくなるとかまるで好きじゃない。ないなー、って思っていた。送別会って概念とか現象をあんまり好んでなかったりするくらい、好きじゃないと言えば好きじゃない。ていうか誰だよ送別会とか考えたの……、なんて、過剰に対抗してみたくもなった。まあ無駄な抵抗だろう。あと、称賛せねば駄目かもね、とも思っていたりはする。区切りもなく逢えなくなるよりはマシか……、と思えるところも間違いなくあるからだ。
▼溜め息ついてみた。呼吸を強調してみる。静寂を吸って、丁寧に吐いて、呼気と吸気を整えて、認識を変える。夜空に目を向ける。夏の夜の儚げな空と風があった。送別するには悪くない空かなー、なんて考えてみた。明確な定義などはない。別れに適した空なんてあるまい、とは思っていて、だからつまり、正当性とかが欲しかっただけなんだろう。納得を求めてみただけかな、とは思えた。逢えなくなる系の判断や思考は、可能な限り回避したいし、排除したいし、改変したいと思っている。せめて、また逢おうぜ、と微笑んで言えるような段階を保持しておきたかったりはする。なんて心境を夏夜空に託してみたんじゃないかな、とか思ってみた。託しすぎかな。星や空になら何でも願っていいぜ、とかいう風情は駄目そう? 星や空を神扱いは可哀想じゃん、とかね。無茶言ってるかもだ。
▼ま、殊更別離ってわけではなかったと思う。逢えなくなる匂いはほとんどなくて、だから、意識もしていなかった。再会の機会は見えていた、なんて言える。けど、逢えるって思ってたって前触れなく逢えなくなることはあるし、逢えなくなったと思っていても突然逢えたりすることだってあるし、約束が持つ不確定性と不安定性を理解していれば、結局は安心なんてできない。恐怖が妥当だろうな、とは思うのだ。怖がりの少なさに時折り不満すら覚えるくらい、わりと強くそう思っている。ちゃんと不安がれよな、というか。
▼別離の不安はあんまりなくて、無駄に安心してしまっていて、だからやっぱり、軽い後悔すら今はあったりしつつ、なんにせよ、勤務後の送別会に参加してみたのだった。到着が午後11時過ぎで、開始は午後7時頃で、比較的盛況の空気は残っていたと思う。残響が感じられた。楽しかった。新鮮な光景もかなり沢山見ることができたと思う。結局は朝まで飲んでいた。解散の時を迎えて、おつかれさま、って少し声をかけてみる。改めてありがとうだけは言っておきたかった。別れの契機なんてやっぱり欲しくはなくて、送別会は好きじゃないかもなー、なんて思ってみることもあったりはするけれど、でも、素直に綺麗に「ありがとう」を言わせてくれる場だよなー、とも思うから、しょうがない――帳消しにしてやるよ、なんて偉そうに思ったりもするのだった。ま、楽しかったからね。