世界は称賛に値する

日記を書きます

普通に帰れ、普通は何処に?

▼普通とか平凡とかスタンダードとか、軽々しく言ってはいるけれど、厳密に突き詰めていけば、わからないなあ、とはもちろん思っている。習慣とか惰性の話だろ、とは思うからだ。文化が違えば違うはずじゃん、とは思うからだ。初対面の人間と突然握手したりはほぼ間違いなくしないわけだけど、挨拶時に握手するのを普通とも平凡とも基本とも受け取れないわけだけど、誕生直後から「挨拶動作」がそういうものだったら、違和も異質もまるで感じ取れなかっただろう。挨拶時のキスとか挨拶時のハイタッチとかに、もし慣れ親しんでいたりしたら、普通の位置づけは、当然違っていただろう。
▼なんて考えてみたりしたら、普通が重要だ、普通を大切にせよ、普通に帰れ、普通を意識しておけ、とかいう言葉群に、簡単には納得できなくなってしまうところも、やっぱりあるのだった。帰るべきところ、戻るべきところ、最後まで意識しておくべきところってのは、ほんとうにそこでいいのかなー、と、ほんのり迷ってしまうのだ。
▼でもまあいいんだろうな、と、現状ではいちおう結論づけている。親しんでしまったならつまりは親しんでしまったってことなのだ。星の王子さまも言っていたろう。正確には砂漠で狐が言っていたはずだ。なついてしまったらなついていないものとはもう全然違うのだ。馴染んでしまったら馴染んでいないものとはもう全然違うのだ。不可逆かどうかは知らないがそうなのだろう、とは思っている。現段階ではそう判断している。普通が重要というよりは、馴染みが重要なんだろう。肝で核で鍵で柱で要なんだと思う。