哲学を蜜柑で喩えながら、次の一手を模索してみるところ

▼雲。闇が混じっている。雨も匂う。起床は午前8時。業務的講義を聴く予定があったりする。が、準備が足りていない。焦燥もなくはない。定型的文章を目指しつつある。
▼読書としては『ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力』の継続を予定している。
▼哲学性、とか言葉にする。哲学性って? と聞き返される。哲学性って例えば? と言葉に詰まる。窮する。おそらく、性を理解すると的の理解に繋がるぜ、というようなことが話したかった。のだとは思う。でも、難しいな、とも思った。で、例示しよう、と転換してみた。蜜柑→蜜柑性→蜜柑的、ということを考える。蜜柑は「蜜柑性」の固まりだろう。つまり「具現化そのもの」なのだと思う。逆転させると、蜜柑を濾過することで「蜜柑っぽさ」が認識できる、とも言える。でもって、その蜜柑性をほかのモノに混ぜ込むことで、あるいは、その蜜柑性をほかのモノから見出すことで、形容詞として、蜜柑的、と言うことができるようになる、ってことなんだとは思う。とか考えてみて、言葉にしようと思って、言葉に詰まる。苦笑する。素敵回答ではないなー、と笑いかけてみた。