広い意味で言えばポジティブは大事でしょう? なら、狭い意味で言っても大事だって思えるようにしたいよ。

▼死が終わりとも限らない。間違いのない「終わり」と誰もが思いうるのであれば、自死を選ぶ確率など零になるんじゃないかと思うからだ。でも、現実に選ぶ人間はいる。選んでいる人間がいる、ようには見える。単なる錯覚や幻想なのだとしても、死を、終わりではない――向こう側がありうるぜ、と認識しうる観点はありうるようだ、とか判断できている、わけだ。誰かが死んでも――自分が死んでも、世界は終わらない、という観点だろう、とも言える。▼観点のことを考えてみた、のだった。世界観、と言ってもいい。終わりを何処に置くか。終わりを何処に置いてしまっているか、ということで「世界観」をどう区分することができるんだろう、というようなことを考えていたのだった。俗に「ポジティブ」と言われるものの根源はおそらくそのあたりにあるんじゃないか、と感じたりはするからだ。▼可能な限りポジティブは擁護したいし保持したい、とは考えている。だから、ポジティブを保持するための要件、について考えていた。▼ポジティブのありかたとして駄目なパターン、というのもあるようだから、繊細で地道な活動にはなりそうなのだけど、でも、護ろうとするだけの価値はあるんじゃないか、と思う。今は思う。▼何というか、雑な話になってしまう気もするけど、結局は「広義」のポジティブにしか救いの道はないように思えたりするところもあるし、でもって「狭義」のポジティブとして認識を改めてみた時に、駄目な形になってしまうことがあったりするのなら、ポジティブ、という奴が、駄目なほうに向かってしまわないように――綺麗なまま「狭義化」できる細い道を進んでいけるように、巧く誘導するのが、重要なんじゃないか、と最近は考えている。