拠りどころが君を安定させるかも。でも、拠りどころなしの安定も模索してみたい。思考停止に向かうのではなくてね。

▼拠りどころ、があったほうがいいのは理解できる。世界は不安だ。完璧で無欠な安心だけではやはり構成できそうにない。だとしたら、HOME的なものはどうしたってあったほうがいいのだろう、とは感じる。謂わば、心許せるところ。何処かにあるだけで、全然違う、というのは、わりとあっさり想像できる、からだ。依存、というのは少し違う、と考えている。が、紙一重だろう。だから、あまり好きとは言えない。無論、依存に陥るのを恐れているのだ。なので、拠りどころなしの自信、というようなものを考えてみることもあるのだけど、結局は「自信」という概念も「拠りどころ」の一形態なのだろうな、とも思う。とするならば、拠りどころなしの安心、は、やっぱり無理なのだろうか。わからない。抽象化によって漠然としたものにしてみせる、という戦術を選ぶことによって、拠りどころそのもの、を巧く「安定」させる道はあるようにも思える。例えば世界が自信の根拠なら、例えば存在が自信の根拠なら、まあ恐れるものはないよな、という感じはするからだ。でも、理想の形態とは言いがたい。いくらかズレる。精神の根源に「自信」と同等のものを刻み込んで発端と根源から「自信があるように見える」もの、になりたい、とか考えているようだ。が、思考停止とほぼ同義なのでは、という雰囲気もたっぷりじっとりあって、まだ模索が必要だよな、と考えていたりもする。簡単に言うと、ちゃんと自信を持つためには自信を持てるだけのものを持つべきだ、という理路はわかるし、実践しようとしているところも間違いなくあるのだけど、でも、理想形態&最終形態がソコにあるわけじゃないのだよな、ということを考えていたのだった。というのを「頑張るぜ」から逃げるための理由にしないようにしよう、ということも思う。してしまいそうだからだ。