勝手に定義して独り言みたく語らないことと、理屈を保持しつつ理屈メインにしないこと

▼勝手に定義して勝手に判断を下すことが、まあ、減ったとは思う。例えば、神様なんていないとかあんまり言わなくなった。神様の定義が沢山あることを知ってしまったし、神様の定義によっては、確かにそういう神様だったらアリだと思うしそういうものならいるかもしれないけどさあ、なんて言いたくなることを知ってしまったからだ。最後に転換しうる可能性にちゃんと気付いているのに、最初っから断言してもしょーがないね、って感じだ。断言を目指すなら、せめて定義から話したい、とも思う。誠実というのはそういうものでは、と最近は思うので。でも、定義とか理屈っぽいよー、という指摘もありえると思うので、うーん、こういう指摘を巧く回避する術、というのも、同時に模索しないとなのだよな。誰にでも感情の壁みたいなのがある。論理だけでなくそこも抜けないとね、というようなことを最近は思う。賢明さ、明晰さ、というのはそのあたりにあるのかなと。