意図と具現のバランス

▼源流や背後が持つ偏りをどう取り扱うか、っていうのがずっと問題なんだよねえ、とか思っている。意図が悪なら「悪」と看做しうるのか、あたりがそうだ。意図が背後だ。政治的って何だろう、という問いについて例えば考えていて、言説の性質、を条件にできるのか、意図の性質、を条件にできるのか、を問題視してしまう。気にしすぎて、意図通りに進んだ(と思えた)時は「意図」を問題にし、意図通りに進まなかった(と思えた)時は「過程」や「結果」を問題にする。というスタンスが、めんどうな癖に、結構アリなんじゃないか、なんて気もしてきてしまう。難点は無論、意図通りにいった(と思えた)かどうか、を、行為者以外がきちんと判定することはできない、というところにあるのだろう。逆に言えば、己に対してはそう思っておいてもいいかもね、とは言える。▼起床は午前7時半。最近は電王が楽しみになった。時間モノとして傑作の匂いがするからだ。