朝と昼と夜とのミキシング

▼同じ装いばかりだと飽きる。行動記録を取りたい、と思ってはいて、でも、何となく踏み切れないのは、朝→昼→夜、という流れに、いつかは飽きてしまいそうだからだ。というか、絶対飽きると思う。特に朝には飽きるだろうと思える。だって、始まりにはあんまり変化がない。夜も似ているが、似ているのはおもに睡眠であって、睡眠はあまり描かれない、はずだから、あまり関係がない。睡眠は死と同じ形質を持ちうる。というか、持たせうる。し、持たせてしまうと思う。睡眠で区切ってしまう、ということだ。朝は、ほとんど、起きる。起きる、から、描写が始まる。始めざるをえない。ということに、飽きてしまいそうだ、とか思うのだった。だから、混ぜてしまえばいいか、と考えていた。別に回想でも劇中劇でも無理矢理でも別項でもかまうまい。ミキシングだ。混ぜてしまえ。でも、ま、飽きてからでも良いか、とも思う。最初から次世代に踏み込むことはない。
▼目覚めはあっさりしたものだった。起きて目覚ましを止める。まだ眠い、とかがほとんどなかった。理由はわからない。解明できれば応用できるのな、と考える。無論応用のためには、理由をもとに技術を構築しよう、という奮起が要るのだけども、できそうにないうち、は、できそうになったら、のことは考えないものだ。というあたりを乗り越えてしまえば、無敵に接近できるのな、とか思ったりもする。予測が的確であることの重要性は最近よく考える。未来は不明瞭だ。でも、何もできないわけではあるまい、という形。
▼手際が悪いな、と評価する。長くなりすぎるだろう、と予測する。おかげで、躊躇が浮かぶ。止めてみよう、とも思う。短く鋭く一日を描く、というのは、わりと夢だ。とはいえ、価値を高く見積もっているつもりはない。すごく有益ですよね、とかは思わない。楽しそうだ、もあんまりない。でも、なんか、一度は達成してみたいな、とは思うのだ。こういう夢のありかた、が、逆に楽しい、というか、贅沢だ、というか、ま、ありかな、と思えたりすることもあって、余裕、とでもいうのかな、嬉しくなったりもする。のだ。