普遍的な良し悪しってわりとあって、だから、普遍的に排除されがちな性質もあり、でも、むしろ、だからこそ遊んでしまえ、と思う

▼時おり、作業メモリが少ない、と感じる。不足しているな、とか判断してしまうことがある。だから、あまり負荷がかからないようにしよう、と考えてしまうことも、多い。実践に繋げたりもする。技術を練り上げてしまう。物理的記録を増やしたり、チャンク化したり、フレーズ化したり、音韻を利用したり、音声を利用したり、標語化したり、図形化したり、物語化したりする。ということをしたりする。でも、だからもう作業メモリに負荷を掛けないようにしよう、なんて、決意しているわけではない。負荷が掛かる指向、を捨て去ろうと考えているわけではない。見逃しや度忘れ、を、可能な限り回避しておかねばなるまい、と判断しうる場面では、確かに、回避する算段を立てたりはする。が、見逃しや度忘れ、などもまた、可能な限り活用したい、とか思っていたりもするのだ。見逃しや度忘れ、は、無論、あくまで例示である。回避対象としてわかりやすくしてみた。