[開始記]敗北と変更のバランス

▼妥協と妥協じゃないものは似ている。似てしまうよな、って思う。差異を明確に見せつけるのは難しいよな、と思う。状況を鑑みて単純に調整を行ってみせることが、諦念と怠惰による妥協に見えてしまうことは、確かに多い。でも、限定はできない。断定はできない。決めつけられないよな、と思う。曲げること、が、敗北によるもの、とは限らないからだ。覚悟と決意の敗北による折り曲げを、妥協と呼ぶのは、決して悪くないものであろう、と思う。が、敗北による判断の変更、なのか、背景の単なる再設定、なのか、は、客観的には判断できないところだろう、とも思うのだ。敗北かどうかなんて誰にもわからない。逆に言えば、敗北なのに敗北に見えないことだってある、ということだ。敗北かどうか。妥協かどうか。究極的に言えば、君の心だけが知っているはずだ、という領域なのだとは思う。▼起床は午前5時半。最近は『万物理論』を読んでいる。睡眠時間削った。