世界は称賛に値する

日記を書きます

世界と軽重のバランス

▼誰もが違う視線を持っている、ようだ。見るところが違っているように見える。つまり重視が違う。または軽視が違う。おそらく世界は多様な視線で見られているのだろう。確証などはない。現象から解釈可能だ、とか思っているだけだ。世界観は多様であり、価値観は多彩であり、皆、見ているものが違うように思えるけれど、物理現象まで違うようには思えないから、重みづけ、つまり解釈による拡張化、または解釈による縮小化、を活用することで、視線の多彩と多様を巧いこと為しえているのではないか、なんて判断だとも言える。という思考は、価値観はヒトソレゾレです、という言葉を鵜呑みにしてもいいのか、という疑惑を源泉にしている。疑惑を向けるのは楽しいよね、というのは結構あったりする。性格悪め、だろうか。性格の良し悪しってのも結構謎だな、と思う。▼起床は午前5時。睡魔の残響がある。疲弊に匂いもする。巧く扱えていないな、と思った。