精神Aと精神Bを切り替えるのではなく、精神Aと精神Bの統合体を構築し養うことを目指そう

▼疑念と暫定と臨機、を常に胸に留めておく。つまり、思考停止せず、何であれ、心底信じたりはしない。前提にしない。というスタンスは、結局のところ可能なのだろうか、と時おり考えたりする。問い続けることは可能だ、とは思う。というか、わかる。問い続けられてはいるからだ。実現できている、し、実行できている、からだ。でも、所詮「切り替え」に過ぎない、のも、わかっている。普段は盲信してしまっている、のだ。確かに検討を加えることもあり、疑義を向けてみることもあるのだけど、常時はほぼ「盲信」してしまっている。賢明の瞬間が稀にありうるだけで、愚昧の瞬間もあってしまう、のだ。という状態を、賢明60%、愚昧40%、程度のバランスで、常時維持していくような精神に、組み替えることはできたりしないのだろうか、なんて思う。無論、混合比率はいくらか妥協してもかまわない。なんにせよ、賢明であることがある、という形は、避けたいと思っているのだ。でも、難しいかな、とももちろん思う。現段階では想像するのすら難しい。すべてを疑うと考えることすらできなくなる、とはよく言ったものだよな、と思う。