世界は称賛に値する

日記を書きます

言葉の原型みたいなものが頭の中にあり、世界を切り分けているのは結局のところそれであり、言語という機能が獲得できたのもそのおかげ、というような形

▼言葉が重要なのはわかっている。世界のすべてだ、なんて表現が許されることがあるくらいなのだ。言葉がなければ現在の世界観は存在しなかっただろう、という判断だって決してわからないではない。現在の視線が言葉に立脚しているのは、わかる。でも、って思う。でも、言葉なんだろうかそれは、って思うこともあったりはする。言葉が、漠然と茫漠とあるがままの世界、に、境界線、を引いて、理解できるようなものに、認識できるようなものに、しているのだ、って思考は、確かにシミュレートできるけど、でも、現在こうして書いている言葉、と、同じもの、が、境界線を引いているのだろうか、なんて思うのだ。根拠は曖昧である。言葉の原型、言葉の基礎になっているもの、とかが、脳裏に最初からあるような印象があって、どうにか掌握してみたい、と思っているのだった。