論理と視線のバランス

▼論理的かどうか、というのは、結局「意志」の問題なんじゃないか、と、最近は少し感じてしまっているようだ。論理の基盤は人間の視線にあると思っているからだろう。視線が持つ機能の一つだ、とか思っているのだ。ゆえに、記述時の、読解時の、行為者の視線だけが、論理的かどうか、という問いの前に、置かれうるのでは、みたいなことを思ってしまっているらしい。無茶言うよな、とは思う。論理的に隙がないぜ、ということを「論理的だ」と呼ぶことに、違和感を覚えてしまうせいだろう、と思った。合理的と科学的と論理的、の違いは把握しておかないとな、とも思った。起床は午前9時。現状目標は『読み、学び、考え、記録し、記述し、無関係に見えるものをあえて繋げ、繋がりそうなものをむしろ断ち切り、認識更新』である。週間目標は『30分机に腰掛けてどう動くべきか考える』に決めてみた。読書はマネジャーとリーダー論の傑作が読み終わりそう。