いじめられる側にも

▼いじめられる側にも問題があります。
▼いじめられる側にも原因があります。
▼いじめられる側にも責任があります。
▼というのは、すべて違う問題を扱っていると思う。
 ▼視線が違う、と言ってもいい。
▼問題があります、は「難点や欠点の存在」の問題。実際に難点が存在するかどうか。
 ▼指摘の問題、に進化も可能。指摘することは是か非か。
 ▼解釈の問題、に進化も可能。該当箇所を本当に難点や欠点と捉えていいのか。
 ▼問題、を、難点や欠点と解釈せず、問われるところ、として思考する裏道もある。
▼原因があります、は「関係性」の問題。難点が現象の起点になっているかどうか。
 ▼間接的、という言葉が問題を複雑化することも多そうだな、と考えたりもする。
▼責任があります、は「倫理観」とか「道徳観」の問題。
 ▼〜すべきだ、〜でなければならない、が可視化する。
 ▼当然、妥当、という判断も、ここにだけは発生する余地がある。
 ▼というか、当然、とか、妥当、という判断は、この領域にのみ生息しうるもの。
▼いじめられる側にも〜〜があります、という発言は、批難を受けがちである。
▼が、批難は三者を混同していることが多いようにも見える。
▼擁護のための批難であれば、通常「当然」および「妥当」を潰すことが目的となるはずだから、いじめられる側にも責任があります、のみが攻撃対象になるはずである。
▼問題組や原因組は、いじめを肯定するような要素を持たないからだ。
▼問題組や原因組は、単なる「状況の描写」と「状態の説明」しかできないからだ。