世界は称賛に値する

日記を書きます

すべてが嫌い、か、すべてが嫌いってわけじゃない、か

▼ある概念を「嫌い」とか言ってしまう時、概念に含まれるすべてが嫌いであること、があり、また、すべてが嫌いなわけではないこと、がある。区別できる。
▼論理的に区別できるな、って思った。
▼とんかつと呼ばれるものすべてが例外なく嫌いである可能性、と、とんかつと呼ばれるものすべてが嫌いってわけではない可能性、が、ある。ということだ。
▼嫌いな理由が「概念に含まれている性質」である時に、区別が可能になる。
▼(連想して思う。嫌いな理由が概念が持つ性質でないことなんてあるのだろうか)
▼正確には、嫌いな性質、が、概念の本質であるかどうか、で、区別することができる。
▼豚肉が嫌い――だから豚肉を持っているものが嫌い、が、とんかつが嫌い、と言う理由である時、とんかつは「すべて嫌い」になってしまうはずである。豚肉であることはとんかつの本質だからだ。取り外すことのできない「必要条件」だからだ。
▼とんかつソースが嫌い――だからとんかつソースのかかっているものが嫌い、が、とんかつが嫌い、と言う理由である時、とんかつは「すべて嫌いというわけではない」なんて言えると思う。とんかつソースをかけなくてもとんかつはとんかつだからだ。
▼発言者が、いつも最初からかかっているせいでセットで考えてしまっていてとんかつととんかつソース別個のものとして認識したことがない、という時に、起こりえる。
▼なんていう「セットで考えてしまっている」ということは、わりとある、って思う。
▼でも、取り外し可能なことも少なくない。
▼嫌いだと言ってしまいたくなる時、嫌いな理由は対象が持つ本質にあるのだろうか。
▼と問う習慣をつけたいな、と思った。悪いものではなさそうだ。