からだが「快」と「苦」を覚えてしまうもの

▼現状の認識だと「美」の根拠を「身体性」とやらに求めているところがある。既存の経験を踏まえた「からだ」がなぜか「快」を感じてしまう「刺激」を与えてくれるもの、に対してこそ、美しい、と言うべきなのだろう、と判断していたりするのだ。だから、対義語「醜」の根拠もここにあるのかな、とは考えてみた。おのれの利益のために搾取することを厭わず、なおかつ、誰かに苦痛を与えてしまうだろうことを予測しても何とも思わない、というスタイルが、至極単純に「からだ」に「苦」を感じさせてしまう。経験がそういう「からだ」を作り上げてしまったのだ。という可能性を考慮してはみた。ありうるとは思えた。が、思考停止の匂いを感じることもできた。まだ考えておこう、と思う。