適正で有効な「救える範囲」とかがあるんだと思う、でも、拡げられるんだとも思うんだ

▼気づけないものは気づけない。意識できないものは意識できない。現在「気づいていないもの」に気づけるかどうかは、幸運に左右される。偶然に影響を受ける。というか、受けざるを得まい、と思う。自由自在に気づいたり気づかなかったりは、できない。気づけないものは気づけない。残念だけどさ、と思う。無念だけどね、と思う。観察してきた限り、そこには自由などないように思える。だけど――だけど、と思う。事後になって「気づいていなかったこと」に気づいてしまったのなら、事前に気がつけたかどうか、は、わかるのではないか、と思える。面倒くさがって、怠惰に流されて、油断しながら眼を逸らしていたせいで気づかなかっただけなのか――どう頑張っても、どう努力しても、可能な限り気を遣っていてもやっぱり気がつくのは難しかったのか。は、なんとなくだけど、わかるように思える。無論憶測には過ぎないのだろうけど、とは思う。積み上げてきた経験から、今回もそうだったはずだ、と判断しているだけだとは思うからだ。
▼状況はわりと危機的である、とぎりぎりで気がついた。遅かった。もっと早く気づけたはずだろう、と思った。おまえは何を見てたんだよ、と思った。つまんない油断するなよな、とも思った。目の前の助けられるものを助けようとする意志が弱くなってるんじゃないか、という自戒も思い浮かんだ。以前はもっと心配していたはずだった。だから、以前なら気づけていたはずだった。おかげで説教が思い浮かぶ。幸せでいて欲しい人たちがいて、ちゃんと幸せでいて欲しいと願うなら、ちゃんと幸せでいるかどうか確認するくらいはしろよ。最近いまいち足りてないぜ。残業するのは当然苦ではなかった。自業自得だろう、という判断があったからだ。気づけたはずのこと。気づけなかったこと。状況の把握に手抜きがあって、迷惑をかけてしまいそうで、だからこそ、できる限りのことを改めてせねばと思うこと。罪の責任を負うこと。という表現をここで言ってしまうのは、わりとしっくりくるように思う。罪悪。責任。やれるのにやらなかった、という罪。取り戻し。
▼終電に飛び乗る。が、動き出すまでには時間があるようだった。駅構内を散歩する。独特の空気を意識する。活気がなかった。生気がなかった。新鮮でおもしろかった。思わず笑いそうになった。喉の渇きに気がつく。飲み物を買ってみる。珍しいことに、読むものがなかった。鞄の中の『私の犬まで愛してほしい』は読み終えてしまっていた。佐藤正午という小説家がいつの間にかほんとうに好きになっているなあ、とふと思う。きっと皮肉混じりのスタイルが好きなんだろう。正確に言うなら、皮肉混じりでありながら世界や人間をものすごく愛しているスタイルが好きなんだろう。なんて考えていて、責任問題が改めて頭に浮かんでくる。できる限り責任を負おうとするおのれの流儀が持つ不備には当然ながら気づいている。無理かつ無謀かつ不可能だとは思っているからだ。なのに、それを語る。のは卑怯で傲慢だろうと思うからだ。だってそんなの、結局のところ「俺は何でもできるぜ」って嘯いているだけだ。でも思う。思ってしまう。思ってしまうのだ。こういう嘯き、強がり、無茶でも無謀でも不可能な言葉でも、無意味な言葉でさえ、とりあえず言葉にしておけば、いつか「限界を拡大する力」になるんじゃないかって。