私の犬まで愛してほしい(佐藤正午)

《★★★★》

私(わたし)の犬まで愛してほしい (集英社文庫)

私(わたし)の犬まで愛してほしい (集英社文庫)

 二十一歳の何をやってもうまくいかない大学生は、札幌の書店で、同郷の作家の傑作と出会った。最悪の年の記録からたった一つだけ、光の射す一行を拾いあげるなら、この出会いを言わなければならない。光はほんのわずかな隙間から洩れていて、大学生は両手を添えて覗き込み、その瞬間に眼を貫かれた。出会いは恋に似ている。恋はいつもぼくにペンをとらせる。ぼくは古いタイプの、しかも形式にこだわらぬ青年である。諫早の作家は、札幌の大学生のレポートに書かれた手紙を受けとることになった。
 返信はきっちり七日後に届いた。ぼくがラブレターに返事を貰ったのはこれ一度きりである。思いやりのある恋人は、便箋の無礼をとがめず、恋にも触れず、ただぼくの文章を誉めてくれていた。この世に、恋人の励ましほどぼくたちを力づけるものが他にあるだろうか。ぼくがもし、書いても書いても完成しない小説を書きつづけていく決意を、小説家になる決意を固めた一日を思い出すとしたら、この日を置いてない。自伝に書き添えよう。昭和五十二年――最悪の年、そして始まりの年。大学生は二年後の秋、長編小説を書く志を抱いて佐世保へ戻り、作家はあくる年の初夏、急死した。
 ぼくはついに恋人の顔を見ることはできなかった。
 けれどずっと昔、もう二十年以上も前、二人はすれ違ったことがある。
 諫早市立図書館。小学生のぼくはシャーロック・ホームズを読みあさるために通い、二十代の作家は処女作を書くために通っていた。確かに二人はすれ違っている。あの木造の埃っぽい建物のなかで、入り口で、何度も何度も、夢見る眼をした少年と青年はすれ違った。ぼくはそう思いたい。
――P.178

▼あなたの「世界に向けている視線」が好きです、なんていう言葉は、こういう気持ちを抱いた時にこそ使うべきなんだろうな、と考えていた。むしろ、こういう気持ちを抱けない人間の随筆なんて楽しめないんじゃないかな、とも思う。好きだった。楽しかった。