世界は称賛に値する

日記を書きます

格好良さを整理して求めるものを考える。すべてだ、と強気で結論しておく

整理途中と言っておくべきだと思う。

▼対外的な格好良さの追求。
 これは「相手が格好良いと思うだろうこと」を求めることだ。
 これだけを追求すると、当然「自分が好きな格好良さ」は無視されることになる。
▼対自的な格好良さの追求。
 これは「自分が格好良いと思えるだろうこと」を求めることだ。
 これだけを追求すると、齟齬が生まれる。齟齬は悪いことか、と問うのはあり。
 たぶん齟齬は悪くない。でも、齟齬で傷つくなら、齟齬を埋めるのも悪くない。
 齟齬を埋めるのは逃げではなく、媚びでもなく、視野を拡げるだけだ。
▼内面的な格好良さの追求。
 これは「行動や発言の奥に見える格好良さ」を求めることだ。
 ただし、追求者が自分である場合は「頭の中にある内容の格好良さ」も含まれる。
 ここは分割しておこう。
 ▼内面的な格好良さの追求(自分版)
  行動や発言の格好良さと、源泉にある思考の格好良さを求める。
 ▼内面的な格好良さの追求(他人版)
  行動や発言から、その向こうに感じられる心や意志の格好良さを求める。
  人間はほかの人間の「心」をおのれの「心」から類推している派、である。
  なので、背後には確証のない「類推」があってしまう、とは思っている。
▼外面的な格好良さの追求。
 これは「行動や発言そのものの格好良さ」を求めることだ。
 行動や発言が格好良い時、向こうに見える意志が格好良いから格好良いと思うのだ。
 という形はありうる。が、これは、内面的な格好良さの追求、に分けたい。
 純粋に行動が格好良いこと。
 純粋に発言が格好良いこと。
 なんてあるだろうか? と突き詰めて考えていたらわからなくなった。
 戦隊ヒーローのポーズが格好良い、とかはもしやここだろうか。
 姿、形、デザインの格好良さ。物理的な格好良さ?
 ここも分割できるのではないか、と思ったのでいちおうしておこう。
 ▼行動的な格好良さの追求。
  これは「動きの格好良さ」を求めることだ。
 ▼発言的な格好良さの追求。
  これは「自分という人間から発言された言葉の格好良さ」を求めることだ。
  言葉の格好良さ、とは違う。
  自分という文脈の先にこの言葉があると格好良い、と思えるような「格好良さ」だ。