説明なき省略の自動補完を期待するのは甘えに見える

▼可能性が限りなく低くても『断定できる根拠』が存在していないならば、断定してしまうことはやはり不誠実だろう、と感じてしまう。許容できない。面倒だ、とか言われるなら、可能性が限りなく低いことは省略して断定調で書く、って最初に注釈しておけばいいじゃん、なんて思ってしまうのだった。書かないと誤解の可能性が高くなるだろう、と感じられるからだ。同時に、このあたりの怠惰が人間の知的活動を停滞させているのではないか、なんて想像していたりもする。あと、このあたりを許容できない人間が『哲学してしまう』のだろうな、とも思った。最近は、思考をサボっているのが許容できないから私は哲学が好きなんだなあ、なんて思う。思考はサボってないけど記述はサボるよ、という態度も、多少はマシだけどやっぱり好きではない。結局判別できなそうだからだ。