世界は称賛に値する

日記を書きます

理解を望むこと、と、おもしろがらせること

▼理解や記憶と『おもしろさ』は決して無関係ではないと聞く。胸中に『おもしろさ』を覚えている時のほうが『理解』も『記憶』も強くなるらしいのだ。だから、誰かに『理解して欲しい』と望むなら、おもしろがらせること、も比較的大切なのだと思う。最近は疎かにしていた。ちゃんと理解してもらえて、でも完璧な理解などはなくて、いずれにせよ笑って話せること、あたりは、きちんと追求していきたいなあ、と考えているのだった。