世界は称賛に値する

日記を書きます

おのれで決められることとおのれで決めてしまったこと

▼思考を続けてみた。ならば――計画や予定が形成されてしまった時点で、その決定者は結局『過去の自分』であり、その『過去の自分』は『おのれの手で未来を決定できる』と言う時の『おのれ』ではなく、たとえ決めたのが『過去の自分』だったとしても『誰かに予定を決められたのと変わらない』のである、なんて言えてしまうのだろうか。▼あるいは――おのれの手で決めたとか思い込んでいても、実際は――結局は、まわりの雰囲気に流されていただけで、しかも意識の背後ではそのことに気づいてしまっているから、なぜか不自由感を払拭しきることができない、なんていうだけのことなのかもしれない。