機体性能を比較するに値する、という信念の良さと悪さ

▼同年代の人間に比較を思考してしまうのは、ブラッシュアップ経験の量が同程度であるなら機体性能を比較するに値する、というような信念を持ってしまっているからなのだろう、なんて考えていた。同じ領域内で戦っている人間に対して比較を思考してしまうのも同様の構造によるものなのだろうな、とも考える。つまり、比較に値する、と認識できるかどうか、という問題としてまとめてみたわけである。同年代同領域に属する人間に出会う機会があって、負けたくないなあ、とか思ってしまう機会があったのだった。無論比較を思考してしまった。▼他人と比較して落胆あるいは奮起することに恥のようなものを感じてしまっている人格がいる。同時に、他人と自分を比較することの良さをきちんと整理して把握しようとしている人格がいる。誰かに「これは駄目なものだ」とか言われているものごとには通常確かにどこかしら悪いところがあり、けれど、悪いところしかないものなんて実際にはほとんどなく、誠実に考えて良さと悪さを把握し直すことで、悪いところをできるだけ抑制しながら良いところをうまいこと活用する、なんていう新しい選択肢を現出させることができるのではないか、と最近は考えている。経験則的にそう思うようになった。だから、誰かが呟く『駄目だ』という評価を鵜呑みにはせず、だけど無論参考にはさせてもらう、という思考経路を最近の基礎的指針にしていたりはするのだった。