世界は称賛に値する

日記を書きます

整理された思考のおもしろさ、暴走している思考のおもしろさ

▼綺麗に整理されたすっきり明快語りに『おもしろさ』を感じることだってあれば、暴発を匂わせるぐちゃぐちゃ混乱語りに『おもしろさ』を感じることだってある。逆に、明らかに明確だけどおもしろくない話だってあるだろうし、あまりに混線混乱しすぎていておもしろくない話だってあるだろう。ゆえに、思考が整理されていることとか、思考が暴走していることとかは、おもしろさ、というものを決定づける条件にはならないのだろうと考えられる。なんて想像をおこなう――なんて妄想をおこなう。残念ですが前述の論理は間違っている可能性がアリマス、なんて思考に繋げてみたりもした。なぜなら、思考の整理、と、思考の暴走、が、相互排除的な二極としてきちんと定義されているわけではないからだ。簡単に言うなら、暴走しているかのように観察できる整理、だとか、整理されているかのように観測できる暴走、なんてものが存在しうるならば、あんな短絡的な判断は間違っている可能性がありうるよなあ、なんて考えてしまったのである。でもって、存在しうるんだろう、と判断してもいる。思考が暴走している文章に感銘した場面、と、思考が整理されている文章に感銘した場面、を、脳裏に浮かべながら思考してみたのだった。