脳髄工場(小林泰三)

脳髄工場 (角川ホラー文庫)

脳髄工場 (角川ホラー文庫)

《★★★★》

 さらに奇妙な解釈としては、Cを人類の進化に対応した暗在系の非生命反応だとするものがあった。ここまで来ると現代物理学の範疇を大きく逸脱してしまうため、賛同者はさほど多くはなかったが、一つの勢力であることには間違いなかった。この世界は人類に観測可能な領域と観測不可能な領域からなっている。観測不可能な領域は時空の地平線の向こうのことでもいいし、ブランクの長さ以下の極微の世界のことでもいい。とにかく、その領域は人類にとっては全く不可知である。しかし、不可知領域――暗在系――は可知領域――明在系――と相互作用しないわけではない。この派の科学者たちは物理法則が通用しない暗在系を導入することによって、相対論と量子論の間に横たわる理論的矛盾を解決しようとした。例えば、相対論で禁止されているにも関わらず、量子論ではその存在が不可欠である超光速はこの暗在系の中だけに存在すると考える。超光速が存在したとしても、それが現実に観測されることがなければ、相対論に抵触しないと考えるのだ。人類の進化には様々な謎が含まれている。そのうち最も大きな謎は五万年前の段階で人類の進化はほぼ終わっていたということだ。なぜ石器しかない時代に現代人と同じ性能を持った脳が必要だったのか。そして、なぜ五万年前の時点でその進化が止まらねばならなかったのか? 暗在系の信奉者たちはその原因を暗在系に求めた。暗在系の中で人類の進化に呼応する存在こそがCなのである。Cそのものは生命ではない。しかし、生命と相互作用を持つが故にあたかも生命であるかのように振る舞う。それは暗在系に存在するため、決して物理的に観測することはできない。ただ、互いに呼応する人類の脳には影響を与えることができる。Cの超越性と普遍性はこの理論で完璧に説明することができる。つまり、人類の急速な進化とその後の停滞はCの死と復活とに密接な関係があるのだ。
――P.202

▼短編集である。ジャンルはホラーになるのだろうか。いつも迷ってしまう。迷っていたら論理とSFという単語が思い浮かんだ。このあたりの概念をうまく混合すれば的確な表現になるかもしれない、とも思った。著者の小説を以前に読んでいる人にならば、いつも通りの小林泰三節である、というような表現で了解してもらえたりもするだろう。微妙に物足りなさがあったことも記述しておこう。程好く物足りなかった、と言ってもいい。個別の物語を対象にするなら、特に『脳髄工場』『友達』『声』『C市』『アルデバランから来た男』『綺麗な子』が楽しめた。なんか地味かつ冷静に無茶苦茶好きな小説家だ、と判断している。同じカテゴリには佐藤正午氏や保坂和志氏なんかが含まれている。