わかりやすい『賢さ』ばかりではないのだろう

▼いまいち愚昧を脱しきれていないよな、と思う。と同時に、余裕のある人ばかりではないのだよな、と思う。だから、わざわざ愚かな私にわかるように語ってくれる人ばかりではないのだろう、と思ってもいる。ゆえに、短絡に見えても短絡ではない、という可能性はいつだって比較的高いのだろうな、と推測していたりもいる。派手な表現を選択するなら、人間の賢愚を見極める力なんていまだ私には備わっていないのである、なんて言ってもいい。教訓として改めて思考しておこう。この程度の理解力でわかったような顔はしないこと。あと、根拠の曖昧な評判なんかを安易に信じないこと。発言者が常に賢明だとは限らないのだから。真摯な語りだとも限らないしね、とも思った。噂話なんてあてにならない、という経験は、これまでわりと多く積んできたはずだ。にもかかわらず、まだ噂話をあてにしてしまっているところがある。なんとかせねばな、と思った。ほかの人間の話など信じるな、と言っているのではない。疑う必要のない真実だと思い込むな、と言っているのだ。慎重に取り扱えよな、ということである。脳内注意書きを改めてみた次第だ。