世界は称賛に値する

日記を書きます

女性という言葉で思い浮かべるもの

▼異性との友情は存在するかどうか、という論題について考えていたのだった。観察した限り、異性との友情が存在するか、という問いに対して、存在する、と答える人と、存在しない、と答える人がいる。存在する、と答えられる人と、存在しない、と答えられる人がいる。この両者の違いについて考えていたのである。両者が持つ前提のどういった違いが回答の違いに影響しているのだろうか、ということが気になってしまったのだ、なんて言ってもいい。しばらく思考してみて思いついたのは、要するに『女性』という言葉で頭に思い浮かべているものが違うのではないか、ということだった。論題が『女性』に特化してしまったのは、男性である自分自身に対して問いかけながら考えていたからだ。▼簡単に言ってしまうと、女性との友情なんて無理だろ、とか答えてしまえる人たちは、女性という言葉で『恋の相手』とかを思い浮かべてしまっているんじゃないか、なんて思ったのである。女性の知り合いが少ないとそうなるのかもしれない、なんて想像してしまったりもした。想像してしまったのは、かつての自分がそうだったからだ。かつて『あまり女性と接することのなかった自分』は、間違いなく『恋の相手』以外の女性というものを意識することがなかった。というか、意識する機会がなかった。だから、女性、という言葉によって思い浮かんでしまうのは、常に『恋の相手』だったのだ。▼なんて考えて。問いが『恋の相手と友情を結べるか』になっちゃったら、そりゃ無理だよなあ、と思った。無論、恋愛と友情が同時に成立することなどありえない、とかいう話ではない。このあたりは定義次第だと思う。けれど、この問いで問われているのは『恋愛感情なしで女性と友情を結べるか』ということだったはずだ。脳裏に思い浮かんじゃってるのが『恋愛感情を向けた相手』なのに、恋愛感情なしで友情は結べるか、とか問われて、いけるぜ、とは答えられないかなあ、なんて思ったのだった。無論、女性との友情なんて成立しない、という発言の裏にあるのがすべてこういったメンタリティなのである、なんていう無茶なことを考えていたわけではない。ただ、こんなメンタリティを持っていたことがあったし、こういうメンタリティを持っていた時期だったら、男女間の友情とかって無理かもしれん、とか答えたくなったかもしれないなあ、なんてことをふと考えてしまったのだった。