ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法(栗原隆)

ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法 (シリーズ・哲学のエッセンス)

ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法 (シリーズ・哲学のエッセンス)

▼最近は『ヘーゲル』のことを考える機会が増えたな、なんてことを考えていた。接する機会が増えたからだろう。接する機会が増えたのは『現代思想』に軽い興味を持つようになったからなのだと思う。現代思想は哲学から分化したものである、というような形式で現状の私は『現代思想』というものを認識している。この認識は『世界をよくする現代思想入門』の著者・高田明典氏に示された情報を参考にして形成されたものだ、と言っていい。訣別、なんていう強い単語を思い浮かべてしまったりもする。要するに、このまま単純にこっちに進んでいってもいまいちっぽいから俺はこっちを模索してみるよ、なんて言葉で『哲学』に別れを告げたもの、として『現代思想』というやつを認識しているわけである。この『現代思想が哲学に対して告げた別れの言葉』は、実際的には『ヘーゲル』の思想に対して向けられたものだった、というような噂を聞く機会があった。言い換えるなら、現代思想というのは『ヘーゲル』の思考を否定することで生まれたものなのだ、というような話を聞く機会があったわけである。だから気になってしまったのだと思う。正直なところ『哲学』というものが好きだから、その哲学がどんな形で否定されたのか――その否定は妥当なものだったのか――そして、否定されたヘーゲルの思考というのはどんなものだったのか、ということが気になってしまった、のだ。単に『現代思想』というやつがおもしろそうだからその始まりがどんなだったのか気になって調べている、という側面もあったりはする。究極的には、噂の真偽を確かめてみたいのだ、と言ってもいい。