この身をただ単純に動かしてみせる。ただそれだけでおのれを変えられる。

▼胸中の気持ちを無視して単に身体を動かしてみせる、なんてことが、人間にはできるようだ、という判断を持つことができた。些細な行動の繰り返しが、人間の精神を、ほんの少しずつだけど変化させていってくれるようだ、という判断を持つことができた。経験から導き出した二つの判断。この『二つの判断』を持ちえたことが、おそらくは人生というものをがらりと変えるきっかけになったのだろう、なんて最近は判断していたりする。神様が奇跡的な気まぐれを起こして自分を都合よく変化させてくれるのを待ったりしなくても、浅薄な嫌悪感や短慮な恐怖感をあっさりと受け流しながら地道な活動を地味に繰り返していくだけで、おのれというものを希望通りに変化させることはできるらしい、と考えられるようになったからだ。判断から導き出したこの『希望』を得られたことが、どれだけ人生をおもしろいものに変えてくれたか、わからない。▼変わることができる、と、判断した。知識にした。おのれの未熟を直視せねばならなくなった時、この希望じみた知識がなければ、おそらく絶望してしまっていただろう、なんて思ったのだった。