肯定できるためには肯定されねばならない

▼世界を肯定するには余裕が必要で、余裕を保つためには自信が必要で、自信を持つためには肯定が必要なんじゃないか、と思った。肯定されたことがこれまでまったくないのになぜか自信だけはものすごくたっぷり持っている、なんていうような精神構造を想像することができなかったのである。▼とするならば、と考える。世界を肯定できない人間が誰かに肯定されれば『世界とかを肯定できないことから生まれる問題』はすべてあっさり解決するのだろうか。する、けど、しない、と思った。無論いずれはするだろう――しかし簡単にはできないな、と思ったのだ。▼誰かに肯定されればきっと自信を持てるようにはなるだろう。でも、時間がかかるに違いない、と思ったわけだ。▼たとえば、初めて就職して、おまえ使えねえ、なんて先輩に言われ続けたとする。きっと自信を失うだろう、と思う。さすがに一年も言われ続ければ、おのれの性能を肯定する余裕なんて完膚なきまでに叩き潰されてしまうと思う。こんな状況に陥ってから、いやあなた仕事できてるよ、とほかの誰かに一回言われたくらいで、自信を持てるようになるだろうか。おそらくならないだろう。すぐには変わらない。すぐには変われない。でも、あいつはこういう理由で無意味にあなたを罵倒していただけで、実際はちゃんと仕事できてるぜ、って以後ちゃんと言われ続けたら、いずれは自信を持てるようになるんじゃないか、と思うのだ。