ヴィレッジヴァンガードが掲げる宣伝文句

詳しいほうである、詳しくないほうである

▼具体的な思考を心掛けよう、と思った。たとえば私はパソコンに比較的詳しいほうだと思う。最低でも、新機種を購入しようと思った時に希望スペックを自分で決定できる程度の知識や経験はある。だから、明らかに性能の詳細を理解していない人間に『これにはものすごくメモリがあって』とか『最新のCPUを積んでるんで快適ですよ』とか適当かつ曖昧なことを言われたら、はあ、と聞き流してしまうだろうと思う。▼が、たとえば私は洗濯機にまったく詳しくないほうだろうと思う。相場も性能もまるでわからない。だから無論、購入時の選択基準だって驚くほど不明瞭である。こういう状況でなら、たいして理解していない人間の言葉だって、すごく有益なものになりうるはずである。製作会社が放つ宣伝文句ですら参考にしたくなるだろう。要するに、とても素直に聞ける。

申し訳ないが今さら言われるようなことじゃない

▼詳しい領域で詳しくない人間に推薦されても、大抵の場合は響いたりしない。もうそこは通り抜けてきたところだからだ、し、もうその声は存在しているものだからだ。という構造をもとにして、ヴィレッジヴァンガードが掲げているような宣伝文句に、なんで今さら宣伝すんねん、と不満混じりに思ってしまう人間は、おそらく一定数いるんだろう、ということは想像できた。わけだ。昔からライトノベルを好んできた人物が最近流行の『涼宮ハルヒの憂鬱』なんかを読んでみただけで『ライトノベルをもうすべて理解したぜ』と言わんばかりの表情を浮かべて語る人間を見た時に――あるいは、昔からテレビゲームを好んできた人間が最近になって『ファイナルファンタジー12』なんかをやってみただけで『テレビゲームはもうすべて理解したぜ』と言わんばかりの表情を浮かべて語る人間を見た時に、なぜか覚えてしまう苛立ち、を、転用して思考してみたのだった。

すべてに対して『いまさらか』と言えるほど、人間の領域は広くない

▼確かに人間には『自分より詳しくない人間がわかったような顔して語ることに「つまらない」と思ってしまう』ようなところがある。既知だからだろう、とは思う。既知の知識を未知の知識として語る言葉にどうしても退屈を覚えてしまう、わけだ。が、所詮個人が持ちえる『詳しいところ』なんて狭いものだろう、とも思うのだ。大抵の人間は『全然詳しくなく、ゆえに、素直に話を聞ける』領域のほうが広いのではないか、なんて思うのである。だから、宣伝文句が効果を発揮する場面のほうが多いのだろうなあ、と結論してもいる。ヴィレッジヴァンガードの姿を『素敵なもの』として捉えられているのは、だからなのだと思う。巧いなあ、と感じた。ので、参考にしよう、とほんとうに考えていた。