新たな概念を知って、世界が拡大していく快感

英語の再学習を始めてみたら、なんだか楽しくなってきた

▼最近は英語を学び直している。はっきり言って、すごくおもしろい。異質な言語を学ぶことが――異質な言語の持つ異質な思考を改めて慎重に掴み取っていくことが、こんなにおもしろいとは思わなかった。というのは嘘になるかなあ、と思った。いつ頃からか学問がとても好きになった。で、学問のおもしろさ、と、英語のおもしろさ、に、同じようなものを感じるからだ。知らないものを知って、思考が拡がって、世界が拡がっていく。という構造は、おそらく同じなんだと思う。▼特筆するなら、発音がもう心底おもしろくてしょうがない。英語は母音が多い。ということを改めて認識されられてしまった。英語を聞きながら差異を意識するようにもなった。で、改めて意識してみると、このことがもうほんとうにおもしろいのだ。これまで同じものとして聴こえていたはずの音が、意識の再構築に合わせて違う音に聴こえてくる。ということに対する快感があるのである。

初めて対戦格闘ゲームで『中段』概念を獲得したときに得た快感

▼これはあれだなあ、と思った。対戦格闘ゲームで『中段攻撃』という概念を初めて理解したときの快感に似ているなあ、と思った。かつての私は『中段』という概念をあまり詳しく知らなかった。簡単に言えば、上段ガードでならば防げるが、下段ガードでは防げない、という攻撃が存在することを知らなかったのだ。だから、戦闘に際して、戦略なんてあってないようなものだった。▼で、改めて修行し直そうと思ったとき、やっと『中段攻撃』というものを認識することができたのである。認識できて――世界が拡大した。熟練者の選択の背後にある戦略と知性がすこしずつ見えるようになってきたのだ。つまり、このあたりで『中段攻撃』を組み込んで、うまく二択に持ち込んで、もしこの二択を読み切られたとしても、こういうフォローができるように考えているんだな、なんてことが、眺めながら読めるようになってきたのである。このときの認識の拡大と深化には間違いなく素敵な快感がともなっていたように思う。▼要するに、新たな概念に触発され、意識が改築されて、緻密で複雑な世界がさらに深く観察できるようになった。のが、ものすごく気持ち良かったのである。もしかしたらこれは『世界に対してより優位に立つことができたぜ』というようなことに対する快感なのかなあ、と思った。もしくは、ものすごく複雑なはずの世界を、普段はひどく単純化して見てしまっていて、けれども、新たな概念を知ることで改めて複雑さに触れられて、世界すげえぜ、という羨望とか畏敬とかを覚えることができた、ということに対する快感なのかもしれないなあ、なんて思ったりもした。