ぱらぱらとあめがふっていた

▼ぱらぱらとあめがふっていた。最近なぜかひらがなが少し好きになった。以前とは変化したところだと思う。以前は駄目だったからだ。ひらがなが持つ軟質な雰囲気になぜか妙な軽い違和感を感じてしまっていたのだ。だから漢字の硬質な気配が好きだった。なるたけ漢字を使おう、なんて意識を持ってしまってもいた。なにが変化を起こしたのかは、実を言えばさっぱりわからない。ただし、漢字の硬さは今でも好きだ。▼ぱらぱらと軽い雨が降っていた。嫌だなあ、とは思わなかった。でも、面倒だな、とは思ってしまった。この『面倒だな』を『嫌だなあ』の亜種だと考えて、面倒だと思っちゃったんならそれはつまり嫌だと思ったってことなんだよ、なんて言ってしまうことは、できるように思う。おおむね正当な解釈だろうとも思う。確かに気持ちを『好い気持ち』と『悪い気持ち』の二つに区分けして、後者を『嫌だ、という気持ち』なんて風に呼ぶことはあるだろうと思うからだ。▼煎じ詰めるなら、狭義の『嫌だなあ』と広義の『嫌だなあ』があるよな、ということを考えていたのだった。要するに、面倒だな、と同じような階層に存在する『嫌だなあ』と、面倒だな、とかを包括する階層に存在する『嫌だなあ』があるのだと思う。別の言葉を用意すればいいのに、とはたまに考える。この『外観は同じなのに内観が少し違う』という問題が、さまざまな疑問や混乱を引き起こしているように思えるからだ。▼ぱらぱらと雨が降っていた。あんまり傘はささない、というわけではなくなったなあ、と思う。けれど、まあでもどうでもいいか、なんて思ってしまうこともある。軽く雨に濡れながら、ディズニーシーをうろついていた。おもしろかった。できればあのひとと来てみたいものだ、とか思ってしまえることの幸せを、時おり考えたりする。思えることがすでに幸せである、というようなことを、結構重視してしまっているんだよなあ、なんて思う。