言語表現法講義(加藤典洋)

言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

P.156

 僕は断固として点数をつける。僕としても、添削して、評点をつけないですむならばその方が楽です。しかし、実際考えてみると、評点をつけない、というのは、ありえない。なぜなら、僕は自分から見て、いい文章、よくない文章、というものをもっている。もっていなかったらどうしてこんな授業が成り立つだろう。僕は、こういう文章はいいと思う、こういう文はよくないと思う。そういうことがなければ、少なくとも批評は存在できない。いや、ほんと言うと批評だけじゃなくて、文章を書くことに熱意を注ぐ、ということが存在できなくなってしまう。その熱意が、大きく言って美というものを成り立たせているからです。いいですか。いろいろあるよ、と言っていたら、美も存在できなくなるんです。

▼この『言語表現法講義』が好きである、とははっきり断言できる。間違いなくおもしろいものが描かれていたからだ。簡単に言えば感銘を受けたのである。以前から抱え込んでいた二つのもやもやを解消してくれたからだろう、なんて考えていたりもする。▼抱えていたもやもやの一つは、批評というものがよくわからない、というものだった。どんなものが批評なのか、なぜ批評なんてするのか、が、これまでよくわからなかったのだ。言い換えるならつまり『批評の性質と意味』がわからなかったのである。ここに描かれていた言葉はそのあたりの疑念をだいぶ解消してくれたように思う。無論ここでは単に『著者が批評だと考えているもの』を垣間見せてくれただけなのかもしれない。とは思う。けどだからこそ有益だったのだろう、と思ったりもするのだ。批評の実践が観察できてとても参考になった、からだ。▼抱えていたもやもやの一つは、新たな視点を導入したりすれば良し悪しをあっさり変化させることだってできたりするのに「これは良い」とか「これは悪い」とか安易に言ってしまっていいのだろうか、というものだった。この書物はその疑問も解消してくれたように思える。誰もが『固有の美の基準』を持っているということ。相対化することだってできるだろうけど、ぼくらは確実に『美』を感じてしまうことがあるはずじゃないかということ。でもって、あなたの感じたその『美』が熱意を生むんだということ。客観的にどうかなんてわからなくても、その熱意を生むものがここにあるんだということ。もし美と熱意に嘘をついてしまったら結局なにもできなくなってしまうのだから素直に受け止めてしまいなさいということ。このあたりが『批評』というものに対して納得を感じるための手がかりになったのだろいうと思う。▼美ってのはさ、実はすげえやつなんだぜ、と改めて教えてもらった。教えてもらえた。おかげで批評という行為や美という気持ちを迷いなく肯定できるようになった、というわけだ。批評には愛が必要だ、という言葉の意味もたぶん理解した。参ったなあ、と読みながら思えた。楽しすぎてだ。