理論が過剰化していく

▼恵みの雨とか言うけどさ、なんて考えながら濁った曇天を見上げていた。こうして雫が降り落ちる姿を眺めていても、特別思い出したくなるような記憶はない。特に降雨風景に刺激される記憶はない、ということだ。けれど、だからってなにも思い出せないというわけではない。単純な解釈のままでは呼び起こされる記憶がなくても、複雑に解釈してみれば呼び起こされる記憶があったりもするからだ。単純に降り落ちる雫を眺めていたりしても心は動かない。でも、試行錯誤を繰り返すことで心を動かすだけのものに変換できたりもする、という話だ。きっとそれが人間の力だろう、と思う。想像力の力だ。▼あいかわらず『ヒカルの碁2』で囲碁の修行をおこなっている。好調とは言いがたい。守ることに専念してしまうよりは微細な損害を覚悟して総体的な優勢を勝ち取ったほうがいい、という思考法は、数日前になんとか習得することができた。しかしながらそれが足枷になり始めているのだと思う。おそらく極端化してしまったのだ。あえて隙を見せて別のところから攻撃を始める、という戦術を獲得した。かなり活用するようにもなっていた。のが過剰になり始めてしまって、あえて見せていた『隙』が、おおきくなり過ぎてしまったのだと思う。なんて判断することで改めて調整していこう、と考えている。愚鈍だな、と思う。