数学に感動する頭をつくる(栗田哲也)

数学に感動する頭をつくる

数学に感動する頭をつくる

  • 作者: 栗田哲也
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2004/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 もっと過激な人もいる。そういう過激な数学者は苦々しげにいう。数学は世界観なんだ。哲学の一種なんだ。そうした哲学を信じてきた数多くの人が築いてきた壮大な建造物なんだ。そうした壮大な建造物の前にひれ伏す代わりに、多少の問題が解けたといって喜ぶなんて、単なる馬鹿か生意気だ。
 私の意見はこうである。
 数学の構造に触れて感動し、数学の体系を理解することは確かに大切だ。だが、「解く数学」にある程度習熟し、数学的な能力、特にイメージする力や自分の数学世界を持つ力を鍛えておかないと、数学の美しき構造に触れても感動しないほどの「数音痴」になってしまう可能性が高い。音痴にいくらベートーベンの偉大さを説いても無駄であると同じように、「数音痴」にいくら数学的構造の美しさを説いても無駄だろう。数学がわかるためにはそれなりの能力が必要で、その能力を身につけるためにはある程度「解く数学」に習熟することが必要なのだ。

▼洗練された数学観があるようだ、なんて感じられた。素晴らしい書物だったと思う。数学や思考について考えていたことを、ものすごく綺麗かつ丁寧に整理された言葉ではっきりさせられてしまった、なんて言ってもいい。▼数学は好きだ。いつの間にか『数学という建造物の美しさ』がわかるようになっていたように思える。さすがにこれはちょっとすごいよなあ、なんて驚嘆と感嘆を感じられるようになっていたのだ。だが、なぜわかるようになったのか――どうすればわかるようになるのか、は、これまではっきりわかっていなかった。これを読んで、わかった、と思うことができた。▼数学が持つ『美』を感じるのに重要なのは『イメージする力』と『位置づけをする力』である、なんてことがここでは語られている。これが経験的によくわかった。同じようなことを以前から考えていたからだ。誰かになにかを教えるような場面で、頻繁に考えてしまっていたのである。▼こうするとこうなっちゃうから、こうなっちゃうと最終的にこうなるから、駄目なんだ、という説明だけで、すぐさま納得できる人間とすぐには納得できない人間がいること。教えていると「これってばもしやあれと同じような感じですか」と聞いてきて前に教えたものと同じ注意点や応用編まで意識してくれる人がいることといないこと。▼かつて教員が教授してくれた『解く数学』は、あくまでもおおきな『数学』の一部でしかなかったこと。実際の『数学』はあまりにおおきすぎて一部しか見せられなかったから、学校では暫定的に切り分けて教授してくれていて、背後にそびえる美麗な建造物を見るためには、自らの足を使って近づいていくしかなかったこと。美麗な建造物に近づいていくためには、暫定的に教授された『数学の一部』をきちんと整理しなおして、おのれの手で体系化していくしかなかったこと。このあたりを理解できたことが、数学という建造物の美しさを理解することに繋がったのだと思う。で、このあたりのことを改めて理解するための言葉が、ここにはすごく綺麗に描かれているよなあ、なんて思ったのだった。▼世界に向かって知性が挑みかかって、なんとか理や法を勝ち取ってくることがある。その理や法に――理や法を勝ち取れるだけの知性に、強さや美しさを感じられる人間ならば、数学というものからも同様に、強さや美しさを感じられるのではないか、なんて最近は考えている。