- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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P.19
世間普通の人たちはむずかしい問題の解決にあたって、熱意と性急のあまり権威ある言葉を引用したがる。彼らは自分の理解力や洞察力のかわりに他人のものを動員できる場合には心の底から喜びを感ずる。もちろん動員したくても、もともとそのような力に欠けているのが彼らである。彼らの数は無数である。セネカの言葉にあるように「何人も判断するよりはむしろ信ずることを願う」からである。したがって論争にのぞんで彼らが言い合わしたように選び出す言葉は権威である。彼らはそれぞれ違った権威を武器にして互いに戦いを交える。たまたまこの戦いにまきこまれた者が、根拠や論拠を武器にして自力で対抗しようとしても得策とは言えない。この論証的武器に対抗する彼らはいわば不死身のジークフリートで、思考不能、判断不能の潮にひたった連中だからである。そこで彼らが畏敬の念を抱く論拠として、この論証的人間の前に持ち出すのが彼らのいだく権威ということになり、続いてただちに勝鬨をあげるという始末になる。
▼根拠よりも権威を大切にする、という世界観があるらしいことに新鮮味を覚えた。意識したことがほとんどなかった。ひどく単純に『異質な感性があるみたいだ』なんてことを考えていただけだったからだ。▼賢明な人は確かに数少なくて、愚昧な人はなぜか数多くいて、いわゆるパレートの法則よろしく『二割の賢い人間の知性が世界的な知性の八割を形成している』のかもしれない、と思うことはたまにある。で、考えていた。これはなぜなんだろうか、と。あまり素敵な条件ではないように思えたからだ。全人類が賢いほうがいいじゃないか――なんでそう設計されてないんだ、なんて考えていたのである。もしかしたら支配階級が存在したほうが優位なのかな、と考えたりもした。女王蜂のようにだ。