- 作者: 栗田哲也
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2004/06/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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《90点》
P.16
数学教師としての私の本音をいえば、面白い問題さえ紹介してくれれば数学の面白さがすぐにわかるのにと思っている人は大変な間違いを犯している。
音楽の場合を考えてみてほしい。
私の息子は今四歳だ。私も妻も音楽(クラシック系)は好きだから、CD(今はもうレコードじゃないね)をかける機会も多い。このあいだかけたのはシューマンだ。
では、私の息子にシューマンがわかるか。わかるわけがない。譬えで恐縮だが、人生の苦味まで感じられるシューマンを、四歳児ごときにわかられてたまるものか。
しかし、だからといって、音楽を聞かせなければ、私の父親のようにベートーベンが騒音にしか聞こえない音感の持ち主になる可能性が高い。
では音楽の良さがわかるにはどのような過程を踏めばいいのか。
若い頃から、音楽を聞いている。なんとなく耳慣れている。もちろん深い意味でわかってなどいない。だが、なんとなく耳に心地よいぐらいの気はするようになってくる。そのうちにある日突然目覚める。
昨日まで、ただ耳に心地よかっただけのシューマンやショパンの音楽が、もはや単なる心地よい音楽には聞こえない。シューマンやショパンの悲しみが、そして苦味や陶酔がわかってくる。何が起こったのだろう。何が変わったのだろう。ある一定の修練をへて、ようやく彼の中には音楽を感じとる力が芽生えたのだ。昔から多くの人々を感動させてきた目覚めが、彼の中にゆらゆらと起ち上がったのである。
聞いている音楽はまったく昨日とは変わらない。だが、もはや聞いているのは昨日の曲ではない。何が変わったのか。変わったのは音楽を感じ取る能力のほうである。
数学もそれと同じだ。わからないなりに修練を積んでいく。なんとなく少しは問題が解けるようになる。そのうちにある日突然目覚めがやってくる。ある問題に触れる。あるいは、ある定理を深く理解する。その途端に、突然意味が変わる。数学は美しいものだ、と多くの人を嘆息させてきたあの魅力が、突然目の前に現れるのだ。