世界は称賛に値する

日記を書きます

心理的抵抗もあるし、楽しそうでもないし

 考えていて思うのは、殺せるっていうのは要するに何ができることなんだろうな、ということなのだった。物理的に『できるか』どうか、ということなら、可能だ。人を消滅させる行為を選択したあと後悔せずに済むか、あるいは、人を消滅させることをいろいろな想定を乗り越えても選択『できる』か、ということなら、私が考えてきたことは、人を殺す、ということではなくなるだろう。後悔も覚悟も、価値観すら気にしなくていい状態を想定して、引き金を引けるか、と問いかけているだけだからだ。物理的に特別な制限がない以上、物理的に人を殺すことはできる。できてしまう。でも、忌避させるものが間違いなく私の精神にはある。だから、人を殺せない、と言うことは、人間を殺すことを避けさせる抵抗が私の心にはこんな風にあるんだ、と語りだすことにほかならない、のかな、と考えていた。ぼんやり思う。もしかしたらこれは単に、私は人を殺すことにあんまり興味を感じていない、ってだけのことなのかなあ、と。いまいち好奇心が刺激されない、のである。不快感も罪悪感も無視して、撃てるか、となったとき、撃てない、と考えてしまうのは、撃ってもあんまりおもしろそうじゃないんだもん、と思っているから――というだけのことなんじゃないか、と思ったのだった。つまんなそうなことをあえて選択する理由がないじゃん、というわけだ。ここを考えてみるのもおもしろそうだなあ、と思う。