なぜ人を殺してはいけないのか(「で、みちアキはどうするの?」)

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20060225#1140833659

で、ぼくは外来のルールに縛られるのではなくて、自分で「殺さない方を選択する」ことにします。このほうがずっといい。でも興味がないわけではないので、例えば、拳銃で自殺しようとしてる人にばったり出くわして、「撃ってみる?」って言われて、発覚する恐れがなさそうなら、「貸して」って言うでしょうね。そのへんまでは想像できる。

 貸して、って自分も言えそうかな、と考えてみた。けど、やっぱり言えないかなあ、と思い直してしまった。理由はたぶん『気持ち悪いから』だな、と思う。きっとそうだ。つまり私は、肉片やら血液やらが飛散してこの身に降り注ぐこと、に、単純なる嫌悪感を覚えているのだ。べろりと皮がそげてごっそり肉が抉れて砕けた骨が見えて濁った脳漿が飛び散っておどろおどろしい内臓が飛び出して鮮やかな血液が流れ落ちる、という光景を目にするのが嫌なのだ。ということが自覚できたのだった。とにかく気持ち悪いからできる限り避けたいな、と感じていることが認識できたわけだ。派生して考えてみる。では死体が綺麗だったら? 飛散する血飛沫とも砕け散った肉塊とも無縁の状況だったら? 想定してみよう。銃を撃つと同時に死体は消える。しかも綺麗に。夢の如き虹のきらめきと化して天に昇っていく、だけ。もし『美しい風景だ』と感じた記憶を持っているならば、間違いなくそれよりも綺麗な光景が目の前に広がる、なんて考えてもらってもいい。これなら撃てるだろうか。もしこれで撃てるのなら、発砲を忌避する理由は、汚いから、だけなのだろう、と考えていた。結局、やっぱり撃てないだろうな、と思う。罪悪感、について考えてしまったからだ。たとえ綺麗だろうが汚かろうが、死んだことを誰かが悲しむ、としたら、きっと私はその悲しみを見て、やらなければ良かった、なんて感じてしまうだろうな、という不快感に対する予期が、引き金を引かせないだろう、と思ったのである。ならば誰も悲しまないとしたら? 確実にみんなが喜ぶのだとしたら? 撃てるかも、と思う。もし確信が持てるなら撃てるだろう、と思った。さて、ここまで考えてみて思う。この流れを受けて、だから私は人を殺せる、と言うことは、果たして正しいのだろうか。