再びカーメンについて 3

 覚悟されたもの。覚悟を決められるもの。覚悟という気持ち。そのあたりのすべてを混ぜ合わせた『覚悟の世界』みたいなものが第二の『カーメン』なのではないか、と考えてみたわけである。だとしたらまず人は第一の『カーメン』を知らなければならないのだろうな、と思う。第一の『カーメン』がおのれとともにあることを把握したとき、ようやく第二の『カーメン』が呼び寄せられるのだろう、と想像してしまったからだ。つまり、おのれの『業』を理解することが人に『覚悟』を決めさせてくれるのである、なんていうようなモデルを想定してみたわけである。きちんとおのれの世界を見つめていなければ、心の底から大切にできるものなんて見つからない、という形を想像してみたのだ。だがしかし、と不意に思う。けれどもあるいは逆なのかもしれないな、と思ったのだった。もしかしたら、第二の『カーメン』と出会うことが――第二の『カーメン』を感じることが、第一の『カーメン』をようやく認識させるのかもしれないな、とも思えたからだ。愛する人との出会いが世界を美しくしてくれるように、である。おそらくはケースバイケースなのだろう、と思う。どちらかがどちらかを呼び寄せることもあれば、同時に両方を手に入れられることだってあるのだと思う。順序は、だから、さほど大きな問題ではないのだ。諦めることなく、それを手に入れられるかどうか。ということが問題なのだと思う。

 しかしそれがあると知ることができる者は、世界という虚無、果てなき混沌(インディシプリン)の中でもあきらめることをしない者だけなのだ。