再びカーメンについて 1

ビートのディシプリン〈SIDE4〉 (電撃文庫)

ビートのディシプリン〈SIDE4〉 (電撃文庫)

 物語の核心にかすっていると思う。と注意を呼びかけておこう。上遠野浩平氏の連載小説『ビートのディシプリン』4巻を読んでの思考だ。物語の主題、と言うべき位置に据えられていた『カーメン』について考えていたのだった。カーメンとは要するに『ここにこうして生きている『私』に絡んできた因縁すべて』のことなのだろう、とまずは思う。無論、どこまでを『絡んだ』と呼ぶのか、という問題はありうる。が、境界線の問題など所詮は副産物に過ぎない。世界全部だと言ってしまっても問題はないからだ。とにかく、あなたも、目の前のパソコンも、友人も、敵も、家族も、子どもの頃に遊んだ公園も、最近買ったばかりのCDも、道端で見た猫の死骸も、誰かの言葉も、この気持ちも、あの想像も、おのれの来歴も、すべてが、根本的に『カーメン』でありえてしまうのだと思う。知らないものは認識できない、ということを前提にしたときに、認識される可能性を持ってしまうものすべてが、つまり『カーメン』なのだ、なんて言ってもいい。誕生したことで背負わざるを得なかったもの。誕生したことで背負うことのできたもの。つまりは業だ。