世界は称賛に値する

日記を書きます

君にようになりたいからこそ悔しく思えるのだろう

 なりたくないものにはおそらく敗北感を覚えることができない。なりたいと思っているからこそ、理想的な何かを対象に見ているからこそ、敗北感を覚えてしまうのだ。覚えることができているのだ。なんて風に私は考えている。敗北感を肯定的に捉えられているのは、敗北感に対してそういった前提を持っているからなのだろうな、と考えていた。