敗北感を糧にする

 学問が好きだ。だから、専門的に学問している人も好きだ。時おり悔しさを覚えたりもする。専門的に学問するのは楽しそうだ、と想像しているからだろう。友人であるヨウ氏は院生だった。だから、専門的に学問している、と言っていい人間だった。話を聞きながら、敗北感、を覚えてしまうこともあった。理想としている道、を、すでに先に歩かれてしまっているな、と認識できてしまう瞬間があったからだ。未熟ゆえいまだに私が手を出しかねている分野に、同級生だった彼がすでに足を踏み入れることができている、という状況を再認識させられることで、おのれの甘さを痛感させられてしまったわけだ、なんて言ってもいいだろう。ひさしぶりに素敵な敗北感を味わうことができたなあ、なんてことを考えていた。敗北感というものを、私は、できるだけ大切にしているのだ。おのれをうまく向上させるためには、あえて他人と自分を比較して、未熟を自覚させて、なんで俺はあそこに辿り着けていないんだ、と思わせることが重要なのだろう、なんて考えているからだ。おそらくそれが効率的な方法なのだろうな、と想像しているのだ。かなり良い燃料になる、とか考えているのだ。だから、他人と自分を比べる必要なんてない、というような言葉を、私はあまり信用していない。単なる『慰労の言葉』なのだと思っている。大切なのは『他人と自分を比べたときに感じられる気持ち』をどう活用するかにあるのだ、と考えている、わけだ。おもしろかった書物、を挙げてもらった。読んでみるつもりだ。