購買欲で削ぎ落としていく

 購買欲の操作で気落ちを発散させることが多いようだ。ということを自覚している。だから、もうなんでもいいやとりあえず買っちゃえ、なんて風に暴走じみた気持ちを覚えてしまうときは、おおむね『憂鬱じみた思い』を抱えてしまっている、し、こんな風にあまり無駄にお金を使うべきではないよな、なんて風に節制された気持ちを覚えられるようになれば、どうにか『憂鬱じみた思い』から脱することができている。と判断できるのだろうと考えている。まだ『どうでもいいや面倒くさいからとにかく買っちゃうぜ』なんて考えてしまう段階だった。軽い憂鬱が渦巻いている、と言って良かった。この憂鬱は不明瞭すぎるな、と考えていた。どこに原因があるのかさっぱりわからないのだ。まったく見当がつかない。薄々わかっていながら目を逸らしたがっている、という匂いもまったく感じられなかった。生理的なものなのだろうか、と考える。考えて怖くなった。究極的な瞬間には思考だって肉体の支配に負けてしまうのだろう、といった予測を持っていながら、生理的欲求に負けてしまうことにはどうしても恐れを抱かずにいられない人間だからだ。可能ならば生理的欲求を凌駕できるほどの思考強度が欲しい、という欲求を抱えているのである。栄養素Aが不足すると人間はこういう状態になりがちだ、という形態の言説からできる限り脱していたい、というようなことを考えているのである。究極のところまでそれに逆らえるのかどうかは微妙だが、とか思いつつだ。理性主義者だな、とはよく思う。