常識に対する態度・ひとつめ

 第一段階は、人と同じことを思い、同じことを言う段階だった。みんなが言っていること、に従順だった。まだ何も知らなかったからだろうな、と思う。友達が多いこと、家族の仲が良いこと。お金があること。優しくすること。規則を守ること。どこかには本当の幸せが待っていること。誰かに『良い』と聞かされたものを盲目的に『良い』と判断してしまっていたように思う。小学生くらいの時期だろうか。ここから中学生&高校生までの間に変化が訪れる。第二段階が訪れるのだ。第二段階は、あえて常識とは違ったことを選び、常識とは逆から語られた意見を称賛する段階だった。みんなが言っていること、に妙な抵抗を覚えてしまっていたのである。常識を覆す意見が好きだったのだ。常識を虚仮にした意見が好きだったのだ。おそらく新鮮さを感じられたからだろう、と思う。今まで信じていたものが相対化され、本当の答えは別のところにあったのだ、なんて思えたのが楽しかったのだ。常識が否定されただけで『これが本当の答えなんだ』とか思えていた純朴さと愚鈍さが懐かしいなあ、とか思う。今ならば『答えなんて結局なかった』とはっきり言える。常識を否定したことで答えに近づくことはできたのかもしれない、が、答えそのものは決してそんなところにはなかった、と断言できる。そのせいか、いつしか飽きてしまったのだった。アンチでいるのに飽きてしまったのである。そろそろ第三段階が訪れる頃合だった。第三段階は、結局すべて自分で決めるしかないんだな、ということをきちんと自分で考えられる段階だった。みんなが言っているかどうか、という情報を、部屋の隅に追いやって、軽視してしまう段階だった。みんなが言っているかどうか、という情報の情報ランクをぐぐっと落として、あまり顧みなくなってしまう段階だった。