世界は称賛に値する

日記を書きます

どうせわかんないんだから勝手に夢とか希望とか見てしまおうぜ

 明日が訪れてくれる確率はどれくらいか、なんてことはまるでわからない。訪れる確率が高い保証だってない。すぐに死んでしまうかもしれない、し、あっさり地球が崩壊してしまうかもしれない。時空が消滅せずに済む確率だってどれくらいなのやらだ。でも、もし明日が訪れる可能性が少しでもあるのなら――明日が訪れる可能性があると思えるのなら、明日が訪れることを勝手に決めてしまって生きたほうが、やっぱり楽しいよな、と思う。確認しようのないものを悲観的に見つめることが、人生をつまらないものにしてしまうなら、勝手に『こういうもんだろう』と事実を捏造してしまって、できる限り楽観的にものごとを見てしまうようにしたほうが、人生は楽しくなるよな、と思ったのだ。物凄く単純でありがちな話に聞こえてしまうのだろうな、とは思う。のだけど、物凄く単純でありがちな話に聞こえてしまうくらい、本当にそれが『素晴らしき道』なんじゃないか、と最近は考えているのだった。無理矢理でもいいんだろう、と思う。無理矢理気持ちを捻じ曲げて、無理矢理思い込んだ振りをして、無理矢理身体を行動させてしまう――そんな無茶な姿でもきっとかまわないんだ、と思う。と思える。たとえ無理矢理でもやってみれば景色は結構変わるもんだ、ということは、ここまでの人生でちゃんと学んできたからだ。