言い訳ばかり聞かされていたのかもしれない

 改めて考えると結構虚言を信じてしまっていたんだよな、と気づく。子どもの頃の私はあっさり騙されていたなあ、ということについて改めて考えてみたのだった。一体何に騙されていたのか。こんなのは不可能だ、とか、こういうのは駄目だ、とか、を語る言葉にだ。騙されてしまうくらいそういった論調の言葉がたくさんあった、ということなのだろう、と思う。しかし、実際に自分の手で試してみたら、大抵のものは、決して不可能でも駄目でもなかった。という経験もまたたくさん積むことができた。だからこそ、人の言葉がすべて信用に値するわけではない、ということを学ぶことができたのだ。簡単に言うなら、話を聞いて想像していた世界は『狭くてくだらないものばっかりの世界』だったのだけど、実際に自分で行動して自分の眼で観察するようになってみたら『死ぬほど広大で素敵なもののたくさん転がっている世界』が広がっていた、ということだ。諦観混じりのつまらない言い訳ばかり聞かされていたのかもしれないな、なんて考える。限界をきちんと見極められていない人の妄言ばかり聞かされていたのかもしれないな、なんて考える。そして、意識的にそれを排除できるようになって良かったな、と思う。連想したのは宗教についてだった。宗教のことなんてろくに知りもせずに、しかも『自分と同じように宗教のことなんてろくに考えたこともないような人たち』の言葉に流されて『宗教は駄目だ』とか思っていた時期が私にもあったからだ。とても恥ずかしく思っている。きちんとそれを見つめてみたら、批難に値するものなどほとんどないように思えたからだ。