世界は称賛に値する

日記を書きます

ゆうじょうってのはいいものか

 普段考えきれていなかったこと、が、夢に出てきて回答を見せてくれる、というような経験が過去に数回だけある。びっくりする。起きたあとに、考えてみれば確かにそういうことが言いたかったんだよな、と思って、無意識ってすげえ、とびっくりする。普段からきちんと考えておくこと、が重要なのだろう、とは思う。もとより回答にかなり肉薄しているような状態、でないと、さすがにそんな便利な機構は働き出さないように思えるからだ。最後のもう一歩、を無意識思考が飛び越えさせてくれる、という雰囲気か。新規開店が明日に迫っていた。最後の準備をしていた。友人らに協力を仰いでしまった。人数がぎりぎりだったせいだ。ミヤ氏イネ氏マダ氏アイ氏の四名。助かった、と言える。結果から測定すれば、彼らに手伝ってもらわなければ間違いなく終わらなかった、と言えるだろうからだ。こういう場面で、だから友情っていいもんだ、とか言ってしまうことに物凄い躊躇を覚える。おそらく、自分の人生に役立つから友情ってのはいいものだ、と言っている気分になってしまうからだろう。しかし、さまざまな意味は持たせられるにせよ、役に立つからこれはいいものだ、という言葉以外に、これはいいものだ、ということを言うことができるだろうか、という疑問も考えたりはする。だからここではあえて言葉にしないのが正解ルートなのかもしれないな、と柄にもなく思う。明示しないことが――明らかにしないのではなくて意識させないことが、最善の人生を降臨させてくれることもあるのではないか、と最近は考えているからだ。きちんと言葉にすることがおおむね最善の人生に近づけてくれる、と考えているわけだけど、確実な根拠を持つ真理というわけではないのだから臨機応変に対応することが最も大切なのだ、とはもっと強く考えていたりするのだ。